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みつはしみなこのインフォメーション


by minako-info

ゆったりとした肯定

日曜の夕方、近くの区民センターに区長選挙の投票に行った。久しぶりに行った選挙の投票所。なんだか不思議な雰囲気だった。
公正な投票を見届るためにいる老若男女の人たちは、白い布をかけたテーブルとパイプ椅子に6人ほど並んで座っていた。さほど神妙な表情でもなくリラックスしている感じ。だからといって6人はそんなに打ち解けている様子もない。顔は笑みを浮かべている。
投票したい候補者の名前を用紙に記入して投票箱に入れる。その一部始終を見ている6人…不謹慎だけど、笑いたくなって困った。

昔、漫画家の蝦子さんが、テレビで話していたエピソードを思い出した。蝦子さんが、自分の親のお葬式に出席したとき、お坊さんのお経をみんなが神妙な顔をして聞いているのがだんだんと面白く見えてきて、つい堪えきれなくなって噴き出してしまって、兄弟にこっぴどく叱られた話しをしていた。その話しをしている蝦子さんも笑っていた。

何年か前。祖父のお葬式で、まだ小学校に上がる前のめいっこがお経の木魚に合わせてリズムを取りながらおどけて見せるので、じいちゃんっ子だった私はお経を聞いて涙を流していたのに、めいっこの姿に笑ってしまった。

投票した帰り、近所の古本屋で宮沢章夫さんと長嶋有さんの本を買う。このお2人の文章はもちろん素晴らしいんだけれど、すこし投票所の醸し出していた雰囲気に似ている。まだあの妙な空間を引きずっていたから選んでしまった気もする。
映画だったら、さしずめアキ・カウリスマキ監督の世界だなぁ!うん、ピッタリ。

宮沢章夫さんの文章は、とんでもないときに思い出して笑ってしまい尾を引く。
本のいちばん初め「人はときとして、九州人になる」から興味深かった。
ああそうかも…極端だけどそうだな…と妙な説得力がある。
人に九州人が出現するのは、風呂上がりだと断言していた。それから、ごく粗雑な定説だとしながらも、経済や商売の話しをするときに、人はしばしば関西人になるという説もあった。例え話しで、その九州人になったり関西人になったりするのが、いちいち青森出身の誰かだったりするのもおかしかった。
(ちなみに青森県人は自虐ネタを笑いにするのを好む。かなり不幸な話しを冗談にして、笑ってもらえたらうれしいと思っている。引かれる可能性も大だけど…。大好きな川島雄三監督の映画の底に流れるものに、その自虐を笑いに変える精神を感じる。軽妙洒脱なものから、心に深く染みる作品に。)

文章の最後に“だったら、人はどんなとき、東北人になるのだろう”と続く。宮沢さんが考えたのはこうだ。“ゆったりとした肯定”をするとき、人は東北人になる。
「うんだ、うんだ」これほど安心感の漂う肯定がほかにあるだろうか…とある。
肯定するなら「そうだ、そうだ」「その通り」でも、関西人になったっていいはずなのに、人は肯定するときに東北人を選ぶ。
例え話しで、東北の言葉などふだん使ったことがない熊本出身の人が「うんだ、うんだ」と突然言うのが面白かった。人はさまざまな人間を使いわける。そこには、哀しい人生の技術がある…と文章は締めくくられる。

“うんだ、うんだ”は、たくさんの言葉をかけられるより慰められる。“ゆったりとした肯定”って、いいなぁ。
by minako-info | 2008-04-22 08:06 | from mina